2015年度短期派遣奨学生〜奥 誠之

研究タイトル:
「パラオとヤップ島にみる(わたしの)家族の風景」

氏名:奥 誠之
奨学年度:2016年度奨学生
奨学区分:短期派遣枠
滞在期間:2016.8.26 – 10.25
滞在先:パラオ共和国、ミクロネシア連邦ヤップ州

日本統治時代にここは公園だった

活動内容:

私の曾祖父は、戦前の日本が南洋群島(現ミクロネシア)を信託委任統治したときに設立した施政機関である南洋庁(現パラオ共和国コロール島)で働いていました。そして一時ヤップ島の市支庁になり、勤務を終えた際に日本に石貨(石で作られた貨幣)を持って帰ってきました。その事実をもとに制作した作品「南洋のライ」(2014年) は、石貨が運ばれたり使われる際に生じるエピソードによって価値が決まるという、近代貨幣にはみられない石貨特有の価値基準に言及したものです。
今回の研究はこの作品をより発展させることを目的としていました。活動内容としては、現地の方(日本統治時代を知る日系パラオ人や博物館関係者、パラオ唯一の大学の学長など)への取材を中心に、戦跡や日本統治時代の名残がある場所をめぐったり、ミクロネシアで最も歴史のある博物館(ベラウ国立博物館)のアーカイヴライブラリーで、日本関係の文献の整理やデータ化をしていました。

気付いたこと、見つかった課題:

これは誰もが挙げると思いますが、まず語学の重要さに気付かされました。自分の語学力が低いことで断念したこともいくつかありました。アーカイヴライブラリーで日本統治時代に関する文献を探していたときも、やはり英語の本を1冊1冊読んでいくと、それだけで2ヶ月終わってしまいそうなので、日本語の文献に割り切って調べたり。また、今回は留学やレジデンスではなかったので、制作環境というものがなく、制作は簡単なスケッチやドローイングのみでした。今後は、そのような状況でも臆病にならずに制作をできるような思い切りが必要だと感じました。

渡航を経ての今後の制作活動:

パラオ共和国という、かつて日本が(委任統治という形にしろ)植民地支配をしていた国に滞在できたことは、自分の人生において大変重要な機会だったと思います。戦前の日本統治時代を知るパラオ人に話を聞くと、とても流暢な日本語を話してくれますし、パラオ人から日本について教えられる、という機会がこの旅の中でたくさんありました。
海外といっても私が行ったパラオ共和国は総人口が約2万人、ヤップ島が約1万2千人と、日本でいえば町にもならないかもしれない、そういうスケールの場所でした。これらの太平洋の小さな島々には当然アートを扱う美術館やギャラリーはありません。アート自体が存在しないこの島でお世話になった人々に、私は何をすれば恩返しができるのか?そのようなことをぼんやり考えています。

本奨学プログラムを利用してみて:

留学でもレジデンスでもなく、ましてや美大や美術館もない国への滞在を許可してくださったことは大変有り難く思います。数ある奨学プログラムのなかでも格段に自由度が高いと思います。

 

渡航スケジュール:
8月26日 成田空港より渡航。グアム経由でパラオ共和国へ向かう。
8月27日~9月10日 パラオで一番栄えている島、コロール島を拠点に第二次世界大戦の戦跡、博物館、図書館をまわって博物資料、文献を見て回る。
9月11日~9月12日 第二次世界大戦中に日米の激しい戦闘に使われたペリリュー島の憲法記念日式典に参加する。今回の旅では計3度ペリリュー島を訪れた。
9月13~10月1日 私が現地に何か寄与できることがないか考えた結果、ベラウ国立博物館アーカイヴライブラリーの日本語の文献の整理、データ化を手伝うことにし、フィールドワークや現地の人への取材と並行して始める。
10月2日~10月15日 ミクロネシア連邦ヤップ島滞在。ヤップ島の石貨を実見する。
10月16日~10月24日 引き続きフィールドワークや現地の人への取材。今後必要な文献のコピーをとる。
10月25日 帰国
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