2015年度長期派遣奨学生〜山﨑 千尋

研究タイトル:
「墓場からゆりかごまで」

氏名:山﨑 千尋
奨学年度:2015年度奨学生
奨学区分:長期派遣枠
滞在期間:2015.10 – 2016.3.24
滞在先:インド

”It’s not cricket”〜4ヶ月間インド最北端であるカシミールに滞在し、その地に生きる人々と歴史を題材(あるいは媒体)にドローイングを展開。白線によって描かれた英領時代のインド国旗は彼らのプレイによって形を朧げにしてゆく。石灰に手足が染まろうが構う事はない。彼らはクリケットに夢中である。

活動内容:

インド、ガンジス川では日常的に人間の死体が流れている。この営みは遠く離れた日本で生活している私たちでも朗然たる事実として知り得るものだ。さすがインド。
だが私たちはその事を本当に「知っている」のだろうか。私が生きた25年間で日本では2.56億人が死亡したらしいが、そのうち私が目にした遺体は2名である。人間の致死率が10割である事は論を俟たないが、この国で遺体を目の当たりにする事は難しい。たとえ見る事が出来ても、それは悲愴や驚愕にまみれ、滲み、不明瞭である事がほとんどだろう。
文明と愛が私たちの知覚を、死を知る機会を妨げている。この旅行は実際にガンジス川の名も知らぬ死者に会いに行き、その体験を作品化する事を目的としているが、それは決して瞬時に何でも知ったような気になれる現代社会の合理性に対する否定ではない。私はこの旅を経て、省略と変更を重ねた情報達に埋もれながら生きる事について、少し考えたいのだ。

気付いたこと、見つかった課題:

(1)インド人はあまりナンを食べない
(2)国別スマートフォン利用者数第1位だが、回線などのインフラは十分とは言い難い
(3)国が公認している言語が21個存在し、教育を受けずとも地元言語、国語、英語の3つを話せる人は多い
(4)国民の性格は概ね、大雑把というよりは大味である
(5)インドにおける富裕層のムスリムにとってヒジャブはあまり重要ではない
(6)国産ビール「キングフィッシャー」のモチーフになっている鳥(和名カワセミ)はその名の通り、水辺で見かける
(7)詐欺とは金持ちを騙す事ではなく、強者が弱者から搾取する事に他ならず、インドにおいては金銭に限らない
(8)ビジネスの足取りは軽い
(9)インド人の25%は良い人で、25%は悪い人、残りの50%は悪気はない人である
(10)2016年クリケットW杯は西インド諸国代表チームの優勝で幕を閉じた
(11)カシミールに国境はない。

渡航を経ての今後の制作活動:

知り合いもいない、英語もまともにしゃべれない、無用心、無知、無愛想。こんな僕をカシミールの人々は優しく受け入れ、無償の愛情を注いでくれました。彼らは驚くべきほど紳士で、持つ者も、持たざる者も、共に心が豊かであると感じました。僕は彼らの道徳に感謝し、住民の99%がムスリムであるこの街で4ヶ月過ごしました。
パリ同時多発テロのニュースを目にしたのはそんな生活の中でした。宗教に関する勉強をもっと深く、執拗に取り組むべきだと実感しました。その理由は複雑で言葉にし難いものでしたが、おそらく2014年の日本人拘束事件に抱いた感情とは全く別の物だったと記憶しています。世界に広がる巨大宗教はイスラエル由来か、インド由来かの2つに分類する事ができます。中東とアジアを跨ぐように佇むインドは、世界の矛盾をかき集めたような国だと思いました。アーティストを志す者として、とても重要な時間を過ごしました。

本奨学プログラムを利用してみて:

「なんでわざわざインドに?」という事をよく聞かれるのですが、返答に非常に困ります。一応「死体を見にいくために」と答えるのですが、質問者の疑問符は消えてくれない事がほとんどです。学生が日本を離れ、世界を俯瞰する機会は多種多様ですが、しかし決して容易くはありません。特に「世界を見てみたい」などという一見、無目的的な目的で海を渡り、見知らぬ国で長期滞在する事はあまりにもハードルが高い。ですがそんな旅行でもアーティストとしての資質を展開させる可能性が含まれている事は言うまでもありません。多くの芸大生が視野にいれている交換留学制度では、任意の大学にて蓄積された研究の見聞をもって、それを目的としていますが、何が当事者を奮い立たせるかは誰にもわかりません。このような観点から、あらゆる国々への渡航が対象となるこの奨学プログラムが学生にとって非常に貴重であると改めて感じると同時に、不確かな目的で、不可解を得て、腑に落とさぬまま、渡航先で感じた気持ちを作品へと昇華することがこの制度を堪能する最善の手立てだと確信しています。

 

渡航スケジュール:
・10月8日-10月22日 成田空港からニューデリーへ渡航。都心部ホテルに滞在。
・10月22日-10月27日 空路にてジェンムー・カシミール州シュリーナガルへ移動。ハウスボートにて滞在
・10月27日-11月3日 ヒマラヤ山脈麓の村にて滞在
・11月3日-2月20日 シュリーナガル友人宅に民泊
・2月20日-3月3日 列車にてウッタル・プラーデーシュ州バラナシへ移動。ホテルにて滞在
・3月3日-3月4日 列車にてマディヤ・プラーデーシュ州カジュラホーへ移動。ホテルにて滞在
・3月4日-3月5日 列車にてアーグラへ移動。ホテルにて滞在
・3月5日-3月7日 列車にてラジャースタン州ジャイプルへ移動。ホテルにて滞在
・3月7日-3月9日 列車にてビーカネイルへ移動。ホテルにて滞在
・3月9日-3月12日 バスにてジョードプルへ移動。ホテルにて滞在
・3月12日-3月17日 列車にてウダイプルへ移動。ホテルにて滞在
・3月17日-3月19日 列車にてマハーラーシュトラ州ムンバイへ移動。ホテルにて滞在
・3月19日-3月23日 列車にてゴア州パナジへ移動。ホテルにて滞在
・3月23日 空路にてニューデリーへ移動
・3月24日 ニューデリーより成田空港へ帰国
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